ノベルゲーム雑記

更新日:2016年07月14日
PCノベルゲーム製作に関わることを書いたり書かなかったり提案する。
「NScripter覚え書き」はコチラ

作品の評価に対して、どう向き合うか
共同製作の心得
スクリプトコードが知的財産だと理解してる?
ノベルツールの選び方
システムのサンプルが気に入らない
ワイドサイズでも良いじゃない
選択肢とゲーム性について
わりと気になる文法のこと
低身長の立ち絵は表現が難しい
マウスホイールによる文字送りの操作は必要か
パッド操作を実装するなら機能OFFも可能に
ノベルゲームは如何にして生まれたか


作品の評価に対して、どう向き合うか

2012.11.09

作れば気になる作品の評価。その受け止め方しだいで次の作品をつくる意欲が失せることも。
創作を続ける手助けになればと、作品評価に慣れていない人に向けて書いてみた。
ただし、個人的な判断基準なので鵜呑みは禁物。

「演出イラネ」


 作品を読み物として捉えていると演出自体を嫌う傾向がみられる。
 特にウェイトを使った間を取る演出は見た目と違って熟練を要する技術なのでスキップ出来ないと不評を買いやすい。
 画像を多く使った出来の良い演出は「そこまでやらなくて良くね?」という正しく評価してるか疑わしい言葉が投げかけられる。
 アンチの工作、あるいは模倣した演出の浸透は作業量の増加に繋がるので製作サイドが嫌って騒いでるのかも。

「説明ウザい」


 画像などの演出を好む場合、小説文体を否定して携帯小説のようなセリフのみの構成を望む傾向にある。
 下テキスト表示は、文法に精通している人ほど画面構成として相応しい理由から演出に比重を置く。
 文体に関係なく文章が未熟でも、こう評価される。

「文章力」って何ぞ?


 イメージを正確に捉えた文章を指す意味で文章力という言葉がよく使われる。
 それは誰が想像するイメージか。
 指摘されるケースは当然だけど、プレイヤーの脳内イメージを元にしている。シナリオを書いた人のイメージではない。
 ということは、文章力という指摘が正しいのか甚だ疑問。プレイヤーと脚本家のイメージが完全に一致するとは思えない。
 この言葉は作品批判に都合の良い言葉でしかないので、ダメ出しされているとだけ捉えれば問題ない。

「客観的視点」は存在しない


 客観的に評価するなどと謳ったレビューもあるけど、それには条件がつく。
 レビュアーが好き嫌いを過度に主張してない場合のみ。
 そもそもレビューは作品の良し悪しを問わず、何かに惹かれたから書きたいと思うもの。
 その辺を肝に銘じて読まないと自分の作りたい作品が作れなくなる。
 レビュアーは発言に説得力を持たすためにウンチクをたれるけど、根底にあるものは好きか嫌いか。
 建設的でない評価は、良作を目指す人にとって技術向上に繋がるかは微妙なところ。
 場合にもよるけど、否定的評価はレビュアーが「こうしたら良くね?」と提案がなければ取り合う必要はない。

製作陣が欲しがる「都合の良い評価の場」は幻想


 評価慣れしてくると「公平な評価の場」というものを欲しがる人がいる。
 「楽しんでもらうため」「煽りの遮断」など真っ当な理由をあげてるけど、突き詰めていくと利己的な思惑が透けて見える。
 評価の内容を吟味せず、手軽に良いネタを拾おうという安易な考え方。
 そのような場は現実ありえない。仮にその場があったとしても評価は複数でた瞬間に吟味しなければならない。
 公平を謳っても「使えるネタ」「使えないネタ」「嬉しい意見」「不快な意見」と様々な評価が下されるだろう。
 特に「不快な意見」は書いた人にその気がなくても受けとる側が不快と感じればそれまで。
 これを避けることは出来ないし、逆に不快な気持ちにさせる気で書かれたものから何かを得ることもある。
 結局、評価を参考にするのであれば評価内容を吟味する能力は必要不可欠なのだ。

共同製作の心得

2013.01.05

製作の進め方、管理の仕方はアチコチで見かけるので特に言うことは無いのだけれど、それ以外の感じることを発信しようと思う。
共同製作は「9割が頓挫、残り1割は体験版が作れれば御の字」などと皮肉られる原因は、こういう事だと感じるのです。

「文化祭的なノリ」の製作環境は能力と信頼があって初めて実現可能


 共同製作する場合のテンプレ台詞「文化祭的なノリ」。製作未経験者の集まりでこれを謳うケースは、作品の完成は絶望的。
 「文化祭的なノリ」という言葉の裏に潜む本音は「責任を持ちたくない」という逃げ口上。
 当人が無自覚だろうと担当責任は存在する。「文化祭的なノリ」なら責任は存在しないという訳ではない。
 ここをキッチリ理解してない人は信頼できないし共同製作する資格すら無い。
 諍いを嫌い、仲良くやろうという気持ちは誰もが持っている。共同製作の基本を理解していれば、この言葉が出ることは無い。
 理解して無いならゲーム製作以前に人と物作りすることがどういうことなのかを実感を持って知る必要がある。
 和気藹々とした製作環境は喧々諤々を越えた先にある。それが分からない限り、共同製作は不可能と言って良い。

縦割りの組織運営であることを自覚せよ


 横割りの組織運営は魅力的なものだろうけど、稀なケースであることを認めなければならない。
 製作講座サイトで見かける心得は「指示する側から見た注意」が多い。「指示される側から見た注意」が抜け落ちている。
 共同製作である以上、指示される側の心得も広める必要がある。当人たちの経験則に頼ってる限り9割頓挫は改善されないだろう。
 理解が得られれば「指示する側」と「指示される側」の立ち位置が明確になって割り切った姿勢で製作に取り組める。
 ただ、理解が得られないと独裁だなんだと不評を買うので説明が困難で、誰も話題にしないのだろうなと。
 指示される側が納得のいくものを作りたいように、指示する側も納得のいくものでなければ責任を持とうとは思わない。
 そこで必要になるのが信頼。指示される側が不満を抱いても良い物が出来ると確信を持てる程度の関係構築が不可欠。
 指示する側に決定権があるのは作品に責任を持つためであり、それを通すには信頼がなければ成立しないのだ。

議論を理解すべし


 共同製作が頓挫する一番の原因はコレだと思っている。
 本気で協力し合って物作りをした経験の少ない人は、ほぼ100%の確率で議論がどんなものであるかを分かってない。
 話し合いには「討議」「協議」「審議」など様々なものがあるが、これらを混同していることが多い。
 議論というものは大抵の場合「あらかじめ決められた内容を形にするための模索」であって、内容の見直しでは無い。
 何故なら、見直した内容を形にできるほどの能力を持った人が不在だったり、責任を持てるほどの魅力を統括者が感じないから。
 言われても納得いかない人はいるだろうけど、これが大半のケースで目の当たりにする完成までこぎつける作品の現実。
 出来ないことをやれと言われて実現するはずが無い。壮大な内容も身の丈に合ってなければ絵に描いた餅。
 共同製作ならどうにかなるだろうと、浮世離れした他力本願な甘い見通しはオチが目に見えている。
 参加してる以上、何らかの理由で自分に役割が回ってきた時に実現できるかを念頭に置かなくてはならない。
 筋の通った主張なら採用されるという盲信が勘違いだと気付かない限り、議論を理解することは非常に難しいだろう。

ネタの採用される基準


 条件はたった1つ。信頼を勝ち取ること。
 決まったことや提出期日、当人が申し出た約束事などを「必ず守る」。単純だけど、コレを実践できる人は極わずか。
 結果として製作の優先度は「完成>良ネタ」という現実を踏まえた対応を選ばざるを得ない。
 ネタの面白さが採用基準ではない。それは提示する上での前提条件。
 実現できないネタは製作の頓挫に繋がる。責任を持つ立場からすると、それは許せないこと。
 だからこそ、リスクを負う気になれるだけの信頼が必要とされる。
 そして気付かないかもしれないけど、この時点で決まっている内容に不満を持つ人は、技術的な成長に関わる岐路に立っている。
 納得できるものしかしたくないという人は、高い確率でそれ以外は苦手(あるいは出来ない)という問題を抱えている。
 苦手克服の糸口をつかむチャンスなのだけれど、取り組み方を間違うと得るものは無いだろうし、作品の評価は悪いかもしれない。
 ベストを尽くさずにやる気のない姿勢で製作していたのなら、不評の原因は他人事ではなくアナタにもある。
 何故ならプレイヤーを楽しませようという想いで作ってないのだから。
 ……楽しませる想いにピンと来ない人に向けてなら、こっちの言葉が適任だろうか?
 自分の気持ちを満足させつつも、統括者の意思をどれだけ受け入れられるかが共同製作のキーポイントになるはず。

スクリプトコードが知的財産だと理解してる?

2015.08.01

プレイした作品のシステムや演出に憧れて暗号化されたファイルを覗きたい衝動に駆られた人に向けた警鐘。
その行為から作られた模倣は著作物の侵害にあたります。

「技術は習うものではなく見て盗むもの」という言葉に対する疑問


 これを聞いた人の多くは「習得する姿勢と自主性を表した言葉」と解釈すると思う。
 長いことゲーム製作なぞをしていると、それは誤りではないかと疑問を持つようになった。
 きっと、この解釈は現代的なもので、元は全く違う意味だった気がしてならない。
 何故なら技術においても権利は存在するからだ。
 企業倫理的にも矛盾する。「わが社の技術はパクリOKです」なんて言う会社はそうない。パクったら裁判に訴えられる。
 スクリプトは低レベルだから模倣OK、C言語などは難しくて如何にもプログラム的だからNGなどの判断は間違い。
 どちらも等しく守られるべき製作者の財産である。

「昔は技術1つ覚えるのに5年〜10年は掛かったものだ。お前等は簡単に身に付けることが出来て恵まれてる」


 こういった感じの言葉を団塊の世代が身近にいるなら一度は聞いたことがあるのではないだろうか。
 技術習得に対して繰り返される口癖。技術をそれだけ厳しく秘密にしていたという事実。
 「見て盗め」と言われる技術は部外者であれば見ることさえも許さなかった意思を感じるのだ。
 それが人の意識が変わって言葉尻を捉えて解釈するようになったのではないか。
 この考えから私は「技術は習うものではなく見て盗むもの」という言葉をこう解釈する。
 「自分の食い扶持を減らす馬鹿が何処にいる。だが弟子に取った以上は養う責任がある。仕方ないから見ることだけは許す」
 これが元の意味で、高度成長期を迎えるまでに次第に変化したのでは。
 経営者は技術者が沢山必要。けれど、職人は依然として技術秘密主義。こういう状況から言葉の解釈が変わったのだと思う。
 ノベルゲームに当てはめて暗号化ファイルの覗き見を正当化する言葉とは違うのだ。

ライセンス違反の発覚した商業ノベルゲーム作品


 フリーのビデオコーデック「Xvid」を使用したことで、Leafの「ToHeart2 XRATED」は違反を犯す。
 オープンソースであっても場合によっては不利益を被る。利用規約に基づきゲームのソースコード公開という事態に陥った。
 このような事故を避けるためサンプルコードだろうと利用に制約があるのか確認を怠らないよう心掛けることを推奨する。

スクリプトコードを守るには


 残念ながら、画像や音楽と比べるとスクリプトはパクリに対する罪の意識が低いと認めざるを得ない。
 ノベルゲームは他ジャンルよりもゲーム製作の敷居が低いのでプログラム知識のない初心者も手を出しやすい。
 コードへの倫理意識を持ってない可能性さえある。
 目先のものに心奪われ、万引きしてる自覚がない。実に厄介だ。
 スクリプトを守るにはコードの難読化やコメント削除、添付ファイルなどによる警告が重要と言える。
 ただし、これだけでは不十分。警告を「定型文として書いてるだけだろう」と判断する人がいる可能性も否定できない。
 誰もが理解するまで「暗号化されたスクリプトの複製や模倣は犯罪」と知らせる活動も必要。
 浸透するまで長い時間が掛かるだろう。しかし、自分の財産を守りたいならこれから始めなければならない非常に重要なことだ。

ノベルツールの選び方

2015.12.11

数あるノベルツールの特徴や仕様から熟慮して選ぶ方法とはまた違う、ツールを決める目安。

選定基準


 はじめは知名度の高いツールを選ぶことが無難。利用者の多いツールは情報も手に入りやすい。
 ただし、必ずしも自分の性に合うとは限らないので合わなければ、使いやすいと感じる他のツールに変えよう。
 あと、使いこなせない高機能なツールで作るよりも、使えるツールで作られた作品の方がユーザビリティは優れている。

これと決めたら簡単にツールを変えないことも重要


 複数のツールを知ることは悪いことではない。ツールごとに得手不得手があるので、知ることで活用の仕方が広がる。
 だからといってコロコロとツールを変えると、そのツールが持つ特性を理解できないので最低3作品は作ろう。
 何も考えずに作るだけならスキルの向上に繋がらないから製作数を満たせば良いというものではないけど。

ツールに貼られたレッテルに惑わされるな


 例えば、「NScripter」の場合なら「吉里吉里」と比較されやすく貶められる傾向にある。
 この刷り込みもあって、「NScripter」では高い演出を魅せる作品に出会うことが少ないように感じる。
 「NScripter」を使った作品でベタな演出しか見たことがないなら「あふさきるさ」という作品をぜひプレイして欲しい。
 チラ見は実況動画がオススメ。スクショでは伝わり難いので。固定観念を吹き飛ばしてくれる。
 他のツールにもいえるけど、やれることは製作者の発想によっても変わるのです。

システムのサンプルが気に入らない

2015.12.05

見た目だったり、機能だったり、部分的に不満を感じて選べないならサンプルに対する考え方を変えてみよう。
システムのサンプルは作成者の厚意から配布されていることを忘れずに。

完璧なシステムのサンプルに巡り合うことは稀


 特に見た目に関しては、題材によって似合う色合いなどが違ったりするので、すべてのケースに対応させることは非常に困難。
 細部を改造することを前提に、欲しい機能に着目することが賢明だと思う。

高機能なシステムは応用技術の塊


 商業作品などで使われている最新のシステムに近いものを実装している場合は手軽に扱えないこともある。
 経歴の長い古いツールなどは、本来は想定してなかったなどの理由からサンプル作成者は独自の方法で実装している。
 このような場合は機能を働かせるのにツールの仕様とは別に作成者の約束事に従って作らなければならない。
 そうと気付かず作った作品と出会って……な気分に、そこそこ遭遇するのでシステム動作の確認は重要。

サンプルは技術の先渡し


 配布している作成者はその動作を必ずしも保証していない。
 ノベルツールの仕様変更によってはサンプルが正常に動かなくなるので、最終的に書かれた内容を理解するのは必須。
 「こういうものが作れますよ」という見本を提示したものと捉えよう。
 手間を惜しんで手っ取り早く作りたいという理由からサンプルを漁る人もいるだろうけど、製作講座のようなものと思って利用すること。

ワイドサイズでも良いじゃない

2012.12.01

PCモニタがワイド画面になったことでノベルゲームもその影響を受けているけど、快く思っていない人も少なからずいる。
目にするそれらの意見はワイド化に不満の無い私にはあまり参考にならない。
とはいえ、気になる事柄なので既存作品を参考にしてワイドを前提とした枠組みでアレコレと考えてみた。

解像度の移り変わり


 PCノベルゲームで主に使われる解像度の比較。1280×720が如何に大きいか実感する。
 1024×576は800×600に比べて縦が縮んでいる理由から嫌われているっぽい。
 ただ、古いノートPCの中には最大解像度1024×768のものがあるので一考の余地あり。

ゲーム画面のサイズ

今と昔のワイドの違い


 ビジュアルノベルの草分けはワイドサイズ。今との違いは画面比率が16:10だったこと。
 そこから長く4:3になったのは国民機だったNECのPC-98機からWindows搭載機へ市場が移り変わった影響が大きい。
 現在、一般的に使われている16:9モニタの印象は「横は長すぎ、縦は短くて窮屈」。
 「横長の方が人にとって心地良い」などと言われるワイドだけど、実際に16:9を見て首を傾げる人がいる。
 理由は明白。黄金比でないから。人にとって心地良いワイドとは黄金比により近い16:10。
 16:9は人の目が2つあることから導かれた視野範囲でしかない。


痕 -きずあと-

魔法使いの夜

ウィンドウモードは鬼門


 フルスクリーンではなく、ウィンドウモードでプレイする人にとってワイド作品の印象は最悪。
 4:3作品と違って16:9作品は1つのモニタ内で複数のウィンドウを横に並べた作業がやり難い。
 かといって縦に並べようにも16:9のワイドモニタは縦の尺が短すぎ。
 この問題の対策としてサイズ変更の可能な作品が増えている気がする。

横長を意識させない画面作りが重要


 ワイドのモニタとゲーム画面、そして横長のテキストウィンドウに横書きの文字表示。
 横長を意識させる要素がいくつもあることが暗示効果を生む。
 人の視界は横長であっても、その意識は横よりも縦方向への関心が強い。それが余計に16:9モニタを窮屈と感じさせる。
 これを和らげるために背景の床面積を少なくして上方向の視界を広げ縦長の印象を付けることで横への意識を消そう。


スタンダードサイズ

ビスタサイズ

カメラの撮影技術で対応


 エロシーンなどで横に広がった分のスペースを持て余しているならキャラに焦点を合わせて周囲をボカしてはどうだろうか。
 焦点をキャラに合わせることで広がったスペースに小物があろうとなかろうと横への意識は逸らせる。
 キャラの全身を無理に画面内へ収めた構図も焦点合わせの演出を利用することで減らせるかも。
 表示されたキャラとの距離が遠いと感じるなら、視点を自由に変えられるズーム機能などを付けプレイヤーに委ねるのも一興。
 暗い場所や夜なら、ボカすのではなく周囲の光源を落としてキャラだけ浮かすのもアリだと思う。


魔法使いの夜

魔法使いの夜

大型ワイドモニタはテキストを読み難くする


 27インチなどの大画面サイズはテキスト表示を端から端の左右一杯まで使ってしまうと読み難い。
 ワイドであることを強く意識している人は読む時に目線の横移動をひどく意識している。
 4:3モニタは17インチが中心だったので、視界内にテキストが収まらないことはなかったが、大型ワイドモニタではこぼれる。
 ノートPCの画面は15インチ程度なので読み難さはない。ディスクトップは22インチから厳しくなり24インチで限界。
 今後はモニタサイズを念頭に置いた画面作りを要求されると思う。


文字サイズ25 文字数40

文字サイズ25 文字数26

文字サイズ25 文字数26

演出重視と読み物重視を住み分ける良い機会ではなかろうか?


 ノベルゲームで下テキスト表示が主流になったのはキャラクターの表情が文字で隠れるのを嫌ったから。
 その変化が演出重視の流れを活発にするのだけど、反発する人もいる。
 否定の大半は読み物としてのノベルゲームを好む人だと思う。
 結果、演出向きの下テキスト表示でありながら演出を放棄させ台本形式でシナリオを書いた中途半端な作品を生む温床になった。
 ワイド化はこれを見直す良い機会ではないだろうか。

 下テキスト表示タイプは、狭苦しさの原因になっているウィンドウ枠の撤去。そしてテキストを映画字幕のように扱ってはどうだろう。
 これで画面は更に演出向きになる。
 全画面テキスト表示タイプにとってもワイド化は歓迎すべき要素。
 テキストと画像を左右に振り分けることで文字に隠れてキャラクターの表情が見難い構造欠陥に終止符が打てる。
 画像の扱いも挿絵レベルまで引き下げられ、文字数の制約も無いので読み物としての印象が増す。


マブラヴオルタネイティヴ

果てしなく青い、この空の下で…。

 これで擬似アニメ的な作品と読み物を重視した作品との違いが一目で分かる。
 製作側の意図が伝わりやすくなり、コンセプトを無視した「テキストダルい」とか「演出ウザい」やらの批判が減るかもしれない。
 状況変化とどう向き合うか。4:3画面に慣れすぎていることも否定的な気持ちの原因になってると思う。
 停滞したと感じるノベルゲームに変化をもたらす期待からワイド化の流れに私は好意的。ワイドサイズ良いじゃない。

選択肢とゲーム性について

2015.12.19

選択肢があるからゲームと言われるノベルゲーム。それに対する批判も枚挙に暇がない。
ならば、何がゲームと定義付けるのだろうか。その落しどころを私はこう考える。

受動的ではなく、能動的であることがゲームの決め手


 選択肢があるからゲームなのではなく、厳密には選択権のあることがゲーム足らしめると主張したい。
 他ジャンルのゲームはいずれもプレイヤーの意思で行動を決めることが可能。
 例えば格ゲーなら、フィールドを自由に動き回れて、攻撃のタイミングはプレイヤーの意思次第。
 ADVに由来するノベルゲームはその決定権が選択肢というだけのこと。「傍観」ではなく「参加」でなければダメ。
 ノベルゲームはテキストを読む受身の時間が長いけど、プレイヤー自ら選んで「行動してる」と感じられることが重要なのだと思う。


雫 -しずく-

Phantom INTEGRATION

形骸化の進む選択肢


 選択肢に注視するあまり、プレイヤーの選択権が忘れ去られている。
 場所移動の指定などプレイヤーが自ら決める選択権は奪われ、状況判断の選択ばかりが目立つ。
 内向的な性格の主人公は、典型的な例。ここぞという時は意思決定を与えるけど、それ以外は行動と意思に自由が無い。
 状況変化の管理を煩わしく思ってることが原因と考えられ、そのことがゲームとしての意義を失わせている。
 選択後に生じるテキストの矛盾に未だ寛容なのも如何なものか。
 読む事を強調した選択肢なしのノベルゲームが作られる原因はこの辺りにもあると思う。


ToHeart

白詰草話

選択肢のないノベルゲーム


 「ゲームじゃない」という認識に便乗した「選択肢イラネ」の書き込みを見るたびに「どうなのそれ?」という気持ちにさせられる。
 理由として、選択肢なしのノベルゲームは利己的な意識が強いという考えが私の中にあるからだ。
 ゲームは作れないけれどCG集ならイケると考えて作品を出す一部のグラフィッカーと同じ匂いを感じる。
 選択肢の理解の無さ、枝分かれの変化を無駄と切って捨てる感覚はゲーマーのそれでない。
 小説家を志す人が活動手段のひとつに利用してる印象を受ける。
 仮に真実ならひどい暴挙。選択肢のない作品も面白くて好きだけど、それはそれ。
 ノベルゲームとは別の「デジタルノベル」と言うべきものだろう。


ひぐらしのなく頃に解

浄火の紋章

フルコンプ志向は憂慮すべき悪癖


 ノベルゲームの選択肢に対する現状の認識は「ヒロイン分岐」「ストーリー分岐」程度でしかない。
 そして作品は1ルートごとに完結した物語ではなく、フルコンプを前提としたパッケージで作られている。
 一言で表すならルーチンワーク。この姿勢を問題視するというより、プレイヤーに「こう感じさせてしまう」ことに改善を求めたい。
 伏線というよりルート分岐のために内容を削ったり、バッドENDを無駄要素と考えてないか?
 そういう気分で作られた部分はプレイヤーにも伝わるものだ。1つのルートを終えて不満ならば、そこで手を止めてしまうかもしれない。
 バッドも物語の1つと考えなければ、無意味な部分と思って作るだろうし、そんな姿勢では作品のスパイスにさえならないだろう。
 この辺の認識を変えられれば作品は魅力的になるかもしれない。

「The Stanley Parable」という海外製の作品


 主観視点の「3Dリアルタイムアドベンチャー」でありながら、選択肢の扱いが「弟切草」「かまちたちの夜」に通じると感じた興味深い作品。
 公式は日本語未対応だが、有志の作成による日本語化MODが存在するので言語による心配はない。
 作品の概要は、ゲーム内に流れるナレーターの声に従い行動を選択するというもの。
 その行動次第で様々なリアクションを取るナレーターの反応や舞台変化がムチャクチャ楽しい。Steamで販売。

わりと気になる文法のこと

2013.11.26

ノベルゲームで指摘されているのをあまり見たことがない目に留まりやすいことについて。
文法をそれなりに知ってると気になります。

開きダブルクォーテションの打ち方


 厳しく注文のつけられる三点リーダーと違い、商業作品でもみられるくらいダブルクォーテションの問題は野放しになっている。
 変換方法は ” を打った時に変換(スペースキー)すればいいだけ。
 簡単に打てる文字なのだけど、打ち方を知らない人がそれなりいるので周知させる必要があると思う。


引用符の比較

カッコの中では二重カッコ


 普通のカッコを使ってるのは文法にさほど関心がない人にみられる事象。
 カッコで囲まれた文字の中でさらにカッコを使う場合は二重カッコを使わなければならない。


二重カッコの使い方

冷遇されている傍点


 傍点とは、字切りなどの問題からカッコで囲み難い部分を引用(あるいは強調)するために用いる約物。
 中黒が傍点の代用として使われているけれど適切な文字でないため、役目を果たしきれてない。
 一時期、文章の一部の文字を大きくする表現が盛んだったのには少なからずこのことが原因に含まれていたと感じる。


傍点の比較

ルビで小書き文字を使うのは改めるべきかも


 あまり使われてないので周知されてないだろうけど、読み難さからルビに小書き文字を使わないことが文法での決まり。
 高解像度モニタになるほどウィンドウモードでのプレイではルビ文字は小さくなり、小書き文字は読み難くなる。


ルビの小書き文字

 小書き文字に限らず、中黒で代用している傍点にも言えることなので、年を追うごとに高解像度化が進むモニタにどう対処するか。
 このあたりの配慮がそろそろ必要になるのではないだろうか。

低身長の立ち絵は表現が難しい

2013.07.27

低身長キャラの立ち絵は扱いを間違うと画面に対してどこか見劣りしてしまう。それを防ぐにはどうすべきかの模索。
説明はワイド画面をモデルにしているけれど、4:3画面の場合も基本的に違いはありません。

外してはならない立ち絵表示の条件


 身長の低さを意識するあまり、表示位置を画面下部に求め過ぎない方が良い。
 画面の縦方向3分割とテキストウィンドウを念頭に置いた配置。この縛りを低身長の表現は余儀なくされる。


通常の等身

低い等身

遠距離と近距離の2種類の立ち絵


 見劣り感を考慮すると立ち絵で低身長を表現することは非常に困難で、背が高い低い程度の表現しかできない。
 下テキスト表示タイプと全画面テキスト表示タイプの違いで表現できるものでもない。


低い等身

低い等身

 身長差を表現するなら、足まで描いた遠距離の立ち絵が有効だと思える。
 ただし、遠距離の立ち絵ではプレイヤーとキャラの距離が離れすぎて興醒めするので近距離の立ち絵も必要。
 画面の見映えは近距離の立ち絵で、身長差は遠距離の立ち絵で表現することが適切といえるだろう。
 遠距離と近距離の2種類を使うことで身長差の関心は軽減されるというわけ。

マウスホイールによる文字送りの操作は必要か

2013.11.10

操作方法の批判は、感情過多の意見が目立つためか改善を求められても製作者の関心は低いように感じる。
好みの問題と切って捨てる前にちょっと考えてみたホイール操作の考慮メモ。

人によって違う指を痛める動作


 クリック操作でOKの人は、ホイール操作がNGで指の関節を痛めやすい傾向にある。
 逆にホイール操作でOKの人は、クリック操作がNGで指の関節を痛めやすい傾向にある。
 疲労蓄積しない指の動かし方は人によって違う。プレイヤーの腱鞘炎防止にホイールの文字送り操作も実装が必須かも。

クリック音が気になるという主張


 批判するほど気になるなら普段の使用においてもクリック音は相当ウザいと思うのだけど、なぜ静音マウスを使ってないのか疑問。
 ノベルゲームのみに注視してカチカチ五月蝿がられることに違和感がある。
 内容が面白くないから意識が散漫になって耳障りと感じるのだろうか。そうであるなら作品批判の意味合いが強いのかもしれない。

不本意な文字送り


 クリック操作が苦手な一部の人は、不本意な文字送りに見舞われると言うけれど、これについては実体験がないので分らない。
 代わりといってはなんだけれど、標準でゲームパッド操作を備えているノベルツールがあることが気懸かり。
 製作側がパッド操作に関心がない場合に、この機能を切っているなら何も問題ないけど機能ONのまま放置してることが多い。
 標準でゲームパッドを備えていて厄介なのは、とりあえず使えるようにした程度であること。
 この状態に気付かずにゲームパッド利用ツール「JoyToKey」などを使うと不本意な文字送りが多発する。
 ノベルツールに精通していれば気付くだろうし、対応のしようもあるけど、すべての人がそうであるとは限らない。
 謂われない批判の防止として、パッド機能があることを明記するか、あらかじめ機能OFFにしておくことが賢明かもしれない。

オートモードは腱鞘炎対策なるかも


 クリックするのがダルいからという理由が目立つオートモードだけど、腱鞘炎を引き起こすことも含んでいるなら重要度は高い。
 ただ、そうなると表示される文字の数を考慮しない機能では使い勝手が悪い。読みやすさの追及が求められる。

パッド操作を実装するなら機能OFFも可能に

2012.12.09

「ゲームパッドで操作できれば便利じゃん」と思って実装を検討してる人に向けた口添え。
実装するなら機能OFFも必ず可能にしないと片手落ちです。

普及率の低さから生じた特異な操作環境


 パッドで操作できるのは歓迎すべきことなんだけど、機能実装されてない作品をパッド操作しないわけではない。
 なぜ今もってパッド操作の実装が当たり前になっていないのか。そのことも思案してみるべきかも。
 ゲームパッド利用者の実態は複雑。
 実装した作品の少ない中でパッドを使ってる人は、特異な環境を構築している。

パッド操作を可能にするツールの存在


 フリーソフトやゲームパッドに付属するツール。これを利用したプレイ方法がノベルゲームでは一部に浸透している。
 ツールを利用したプレイヤーごとの操作しやすい環境が「既にできあがっている」ので、機能OFFできることが望ましい。
 4ボタン型と6ボタン型で使い勝手の良いボタン割り当てが違うことも悩みの種。
 機能OFFがないなら最低でも割り当てのカスタマイズが出来ないと「余計なもの付けるなゴラァ」と切って捨てられる。
 ぶっちゃけ苦労して実装するより、パッド操作を可能にするツール「JoyToKey」などを推奨した方が負担がなくてお手軽でオススメ。

ゲームパッドの多目的な使い方と補助デバイス


 PCデバイスには好事家がいて、快適な使い心地にハマり独自の操作環境を整えている。
 ゲームパッドもショートカットキーを割り当てたり、ランチャーに使ったりと活用法は色々。
 他に補助デバイスの「ストラテジックコマンダー」「Smart Scroll」や「SpeedPad」「X-Keys」など探せばまだまだある。
 テンキーパッドを転用したツール「MagicKeyPad」なども作られ奥が深い。

ノベルゲームは如何にして生まれたか

2015.12.05

ジャンルについて単純なキーワードで調べてみても分かる情報は意外に少ないので、知ることと感じることをザックリと整理。
的外れな解釈もあるだろうけど、興味ある人の参考程度にはなるかも。

「ビジュアルノベル」の成り立ち


 探りやすい場所で得られる情報と私の認識は微妙に異なる。
 当時のエロゲはストーリー重視へとシフト済みだったけど、攻略手順が面倒臭くなり過ぎたゲーム部分に辟易してた。
 一般向けと比べて「エロゲはゲーム性が劣る」という当時抱えていたコンプレックスが暴走させたのだろう。
 流行していた恋愛SLGはフラグ管理が厳格で特に面倒臭い。ストーリーを楽しむ邪魔になる程に。
 作業ゲーになり過ぎた反動で手軽さが好まれ「ゲームじゃない」と陰口叩かれながらも「ToHeart」「Kanon」を柱に少しずつ広まる。
 そして「DNML」を使った二次創作が盛り上がり、「月姫」のヒットによって一次創作の同人ノベルゲームは活気付く。
 恋愛やミステリ中心だった内容は「PHANTOM OF INFERNO」「吸血殲鬼ヴェドゴニア」の存在も刺激となり戦闘モノに傾倒した。


DNML

月姫

「サウンドノベル」という着想


 全年齢向けのADVがオワコンだったからこそチュンソフトの「サウンドノベル」は評価されたと考える。
 従来型の作品は皆無ではないけれど、エロゲの中でしか意義を見い出せない。そんな状態。
 映画に似ていると認識の主流は「タイムギャル」などのLDゲームが原点と思える「インタラクティブムービー」や「やるドラ」へ昇華して行く。
 「サウンドノベル」は、小説家の小松左京が1983年から1985年頃までゲームに関わったことを発端にしていると推察する。
 1987年には早川書房のSF小説をADVにしたビクター音楽産業の「D-PHOTON」シリーズがある。
 小説家を重要視する発想は時々に浮上して今は「ラノベ作家がシナリオ書けばノベルゲームって面白くなるのでは?」に変化している。
 システムの変遷として「コマンド選択式ADVの発展型」だが、2013年頃から「ゲームブックの派生」という説明を目にすることが増えた。

テキストベースの気になる作品


 ノベルゲーム誕生以前のADVの中で気になる1つのタイトルがある。データウエストの「Misty」シリーズ。
 この作品に着目した事例は見ないけれど、「サウンドノベル」が登場する少し前に計7本ほど作られた作品群。
 テキストADVとしては恐らく当時の最新作。パッケージ帯で「ADVではなく推理ゲームである」と断っている点は興味深い。
 作品内容は「テキスト主体で読み進めて推理する」としか語られず、忘れ去られ情報もかなり少ない。
 「サウンドノベル」の発想に影響を与えたひとつと考えている。

エロゲ初のノベルゲーム作品


 ジャンルが確立される以前の作品も含めると、HARDの「はっちゃけあやよさん1」が恐らくエロゲで初めて作られたノベルゲーム。
 当時の一般的なエロゲの価格より設定が半値程度だったことで、そこそこ売れたらしい。
 ただし、プレイ時間が3分程度と一瞬で終わるため粗悪品を買わされたと怒る人(レンタル店の利用者はネタで済む)も多かったろう。
 あえて内容を評価するなら古い作品であるためシステムが未熟という点を除けば、現在の作品構造を既に満たしている。
 立ち絵は存在せず全編が所謂一枚絵であることや、一部にアニメ演出が盛り込まれてることを考えると勝っている点も見受けられる。

「サウンドノベル」が評価された2つの理由


 「弟切草」と「かまいたちの夜」が評価された根拠としての多く目にする「一度で終わらず何度も楽しめる」には何の異論も無い。
 一度クリアすると再プレイするほどの魅力はないというのがADVに抱く共通認識だった。
 「バッドENDなし」という評価は懐疑的。
 こう思うのは両作品に漂う昭和の特撮ドラマにも似た独特のチープさが肌に合わなかったことに起因する。
 全ルートがバッドENDというか、奥歯に物の挟まった煮え切らないトンデモを量産するという印象。
 努めて冷静に評するならADVでのゲームオーバーのあり方に一石を投じたのかもしれない。

「ゲームブック」の果たした役割


 日本において未知のものだったRPGを普及させた媒体のひとつで、ADVというよりも「1人用のテーブルトークRPG」といえる代物。
 こう例えるのはテーブルトークRPGがゲームブックを短命に終わらせた側面もあるので愛好家からは嫌がられるけど。
 プレイヤーがゲームマスターを兼任してる側面もあって、トラップや戦闘を飛ばして先に進むことが可能な難易度の自由さがある。
 批判対象にされがちなサイコロを用いるゲームシステムは、むしろ肝であり、そこにも面白さを見い出していた。


新訳 ソーサリー

蠅声の王

 ブームとして盛り上がったのは、1985年から87年のおおよそ3年程度。
 コンピューターRPGの隆盛に食われる形で衰退して、テーブルトークRPGの到来により終わりを迎えた。
 ノベルゲームが「ゲームブックの派生」であるなら、「デジタライズド・ゲームブック」は原点回帰だったのだろう。


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